長崎の軍艦島は日本の産業革命の跡

2019/3/15

長崎と聞くと、2015年にユネスコの世界遺産に認定された「軍艦島」を思い浮かべる人が少なくありません。軍艦島は正式名称を「端島」と言い、長崎港の南西20kmの位置にあります。軍艦島と呼ばれる所以は、その姿が戦艦に似ているためです。

この島を訪れると、日本の産業革命時代の大規模な近代化の跡をうかがうことができます。ただ、画一的に建てられた7~9階建ての高層アパート群や、島の周辺を取り囲む高さ10メートルのコンクリートの防波堤を見ると、何か異様さを感じます。 

歴史

開坑は明治初年です。その後、1890年(明治23年)に三菱が旧肥前藩の領主鍋島氏から採掘権を買取り、本格的な採炭を開始します。

この島には石炭が豊富にあることから海底炭田の採掘地として栄え、昭和時代になると採掘施設が数多く設置されます。軍艦島の石炭は長年に渡って日本経済を支え、多くの労働者とその家族が軍艦島へ移住しました。

石炭の産出量は年間約25万トン、良質の石炭は鉄鋼生産用として、主に福岡県の八幡製鉄所に輸送され、日本の近代工業の発展に尽くします。太平洋戦争が始まると、年間約41万トンまでも産出します。

しかしながら、1900年代半ばになると、石油が石炭に代わって主要なエネルギー源になり、軍艦島は1974年(昭和49年)に突然閉山されます。

労働者や住民は島を去りますが、その多くが荷物を島に置いていったため、建物内に残された私物や工芸品などを未だに見ることができます。

生活

1959年には、6ha(東京ドーム5個分、外周約1.2㎞) の小さな島に5,259人が住み、その人口密度は東京の9倍にもなります。住居の他にも、映画館やレストラン、学校、病院、娯楽施設などの都市施設が数多く設置されます。

閉山以降、建物は浸食、風化が進み、現存する建物を見られるのもあと数十年とされています。

観光

ミステリアスなこの島の形態に却って好奇心をそそられます。そのせいか、近年ではこの島でジェームス・ボンド映画の「スカイフォール」や、アニメの「進撃の巨人」など、多数の映画が撮影されます。 

そして、訪問者が急増しているため、従来規制されていた上陸が解除されます。そのため、観光会社から軍艦島への見学ツアーが提供されるようになります。約2時間のツァーでは軍艦島に上陸し、様々な場所を見学できます。また、実際に働いていた人や住んでいた人によるガイドはリアリティに富んでいます。

ツアーは長崎港、高島港から船で向かいますが、波の状態が悪いことで上陸できないことも少なくありません。

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